真宗大谷派 龍宮山 |
浄満寺 | ||||||
●Q:質問 |
●A:回答
Q 1.「友引に葬儀をしてはいけないのでしょうか」 | |
A | いいえ。決してそういうことはありません。 ただ事実として根拠もなく「友引」に火葬、葬儀を嫌がった歴史はあります。 このことは反省していかなければいけない事かもしれません。 |
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●A:回答
Q 2. 「お盆には、どのような準備をしたらよいのですか」 | |
A | 「日本人の先祖観」と「真宗門徒としての先祖観」のはざまで盆行事をどうとらえるのか、どうあるべきか、と問うことは非常に難しい問題です。盆の行事について、これが正しいと一概には言えませんが、参考にしてください。 |
明治以前は、日本のほとんど地方で旧暦の7月15日を中心に、13日に迎え盆、16日に送り盆を行っていました。 しかし、明治以降新暦が採用されると7月15日では、当時国民の8割を占めていた農家の人たちにとって、もっとも忙しい時期と重なってしまうためひと月遅らせ、8月15日を中心に盆行事をつとめる地方が多くなったようです。(現在でも旧暦で行う地方もあります。) お盆は『仏説盂蘭盆経』に説かれることにその起源があると言われています。 お釈迦さまの十弟子の一人目連尊者が「欲度父母 報乳哺之恩」(今は亡き父母に何かできないだろうか)と思いたち自らの神通力で探したところ母が餓鬼道のなかにあり、苦しんでいる姿を目の当たりにしました。 目連尊者は大いに悲しみ、泣き叫び、お釈迦さまのもとへ帰って報告をすると、お釈迦さまは「汝母、罪根深結 非汝一人力 所奈何。(略)当須十方衆僧 威神之力 乃得解脱」(あなたのお母さんの罪は重かったようです。あなた一人の力ではどうにもできない。 まさに多くの修行している僧侶の総力が集まればその苦しみから解放されるでしょう」と目連に告げました。 お釈迦さまは続けて目連尊者に言いました。「十方衆僧 於七月一五日僧自恣時・・・」。 「多くの僧侶達の夏の修行期間があける7月15日に母に代わって僧や貧困に苦しむ人達に飲食物などの布施行をしなさい。」と。 その教えにしたがって目連尊者は母のことをおもい多くの僧侶等に施し、その功徳によって母は長く続くはずだった餓鬼道での苦しみから救われました。 そこでこれに感激した目連尊者は、この習わしを後にまで残したいと申し出ます。 するとお釈迦さまも頷き「仏や僧などに施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい」といい、それ以来父母や先祖に報恩感謝のあらわす行事となったのです。 この目連尊者の母をおもう故事にならってお盆は厳粛に勤めたいものです。 けれども特にお盆の行事は地域、宗派によって勤め方が違うようです。 真宗門徒のあいだではあまりみられませんが、他宗にあっては盆棚、精霊棚などをつくり、迎え火を焚いて先祖を迎え、三度三度の食事をだし、送り火を焚いて先祖をお返ししたりするようです。 また、最近ではテレビ等で先祖の霊を乗せるための、なすやきゅうりで作った牛、馬が紹介されましたが、真宗では全く必要ありません。 阿弥陀如来の御恩と先祖の御恩に感謝を新たにする仏事です。 まず、お仏壇を掃除し、真鍮(しんちゅう)の仏具を磨き、打敷(うちしき)を掛け、お華を差し替えます。 お仏飯と小餅等を供えて丁重にお勤めするよう心がけましょう。 また、浄土真宗では切籠灯籠(きりことうろう)を盆提灯の代わりに吊るすことが多いようです。(写真参照) 蓮如上人が残された『御文』の中に「ハヤウラ盆ニモナリニケリ。」と、お盆の時に書かれたものがありますが、お盆そのものについての意味や考えはみられません。 「ただ弥陀の本願を一向にたのんで信心決定し、仏恩報尽のために行住坐臥を選ぶことなく念仏すべきである。」と述べるばかりです。 つまり、お盆という仏縁をとおして仏法を聞くものとなっていただきたいという願いがそこにあるのではないでしょうか。 |
●A:回答
Q 3.「お葬儀はどのようにすればいいのですか」 | |||||||||||||||||||||
A | 「葬儀」というのは、地域性・習俗的慣習・各宗旨・宗派の違い等の狭間で 一概にこれが正式であるとは言い切れません。参考までにお読み頂いて、利用できる範囲でご活用ください。 |
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さて、本題ですが、家族の「死」によって突然、喪主となることは誰にでも起こり得ます。 しかし、葬儀費用や葬儀形式について十分な知識を持っている人は意外に少なく、葬儀社まかせになる場合も多いようです。 このため葬儀終了し、冷静に振り返ってみると、不満を持つ方が多くなったとも言われています。 確かに、ここ10年を振り返ってみても、葬儀の形態、遺族の意識は随分と変化したようです。 ひと昔前ですと、地域の世話役や物知りの方々が、葬儀についても深い知識と経験をもっており、安心してその地域から葬儀をだすということがありました。 各々の自治体で祭壇をもっているところもあったほどです。 ですが、人と人との繋がりが希薄になりつつある今、「お互い様」という意識も薄れ、個々で葬儀を背負わざるを得ない状況です。 「斎場で行うと、遺族は楽である」「近所に迷惑をかけたくない」等の理由で斎場で葬儀を行う人も増えています。 それとともに益々葬儀社は、現代の葬儀に欠かせない存在になりました。 ホールの貸出、火葬場や霊柩車の手配、荘厳(祭壇)の設置。後片付けに、お給仕。司会等・・・。なんでもやってくれるんですから、非常に葬儀に関わる喪主以下親族、親戚のご苦労は減ったと思います。 ただ手放しに喜んでばかりもいられません。 当たり前と言えば当たり前ですが、その分、人と道具を借りているわけですから費用の増加が掛かるようになりました。
上の図表は、日本消費者協会 第7回「葬儀についてのアンケート調査」(平成15年9月より) |