●Q:質問

   Q 1.「友引にお葬儀をしてはいけないのでしょうか」

   Q 2.「お盆には、どのような準備をしたらよいのですか」

   Q 3.「お葬儀はどのようにすればいいのですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●A:回答

Q 1.「友引に葬儀をしてはいけないのでしょうか」
A いいえ。決してそういうことはありません。
ただ事実として根拠もなく「友引」に火葬、葬儀を嫌がった歴史はあります。
このことは反省していかなければいけない事かもしれません。
 


日頃全く気にしていなくても結婚式、葬儀、お墓の建立等の行事のたびに「六曜」を気にされる方は少なくないですね。
今回のご質問もその風習の類です。
「友引」は、「六曜」のひとつですが、「六曜」とは〔友引(ともびき)、先負(せんまけ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(だいあん)、赤口(しゃっく)〕という「日の吉凶」に関する占いとして影響を与えています。
ただ、よく問題にされますが、実はこれは根拠がかなりあいまいなものです。

六曜は、「六曜星」「孔明六曜星」「六輝」などとも言われます。
2番目の「孔明六曜星」は三国志で有名な諸葛亮孔明が「日の吉凶」に関する占いを考案し、戦略に利用したという言い伝えもあります。
恐らく「日の吉凶」に応じて攻防すれば必勝するとの信念を与えて、軍の士気を高揚に役立てたこともあったのでしょう。
その「六曜」のルーツは中国宋時代末の六壬時課(りくじんじか)と言う時刻の吉凶占いがもとといわれています。
日の占いに用いられるようになったのは時代が下った清の時代で、このころの名称は小六壬(しょうりくじん)。
現在の六曜のルーツではありますが、言葉も順番も時代によってだいぶ変化してきています。

日本に伝わって、「日の占い」として使われるようになってからの変遷は、「和漢三才図絵」(約300年前の本)によると、大安(たいあん)留連(りゅうれん)速喜(そっき)赤口(しゃっこう)小吉(しょうきち)空亡(くうぼう)という名称と順序になっています。
現在の六曜は、〔先勝(せんかち)、友引(ともびき)、先負(せんまけ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(だいあん)、赤口(しゃっく)〕という名称と順序ですので、現在と同じものが一つもありません。
言葉としても大安と赤口の2つしか現在には伝わっていません。
現在の「大安」も昔々に遡ると「小吉」。さらに、「仏滅」も遡ると「物滅」。「仏が滅する」とは言わずに、「物が滅する」と言っていたようです。
また、「友引」もといい、「先勝」「先負」の間としての「共引」。「お互い引き分け」として戦をさける兵法の一つとして使っていたそうです。
仏教とは何ら関係がありません。

こんなに変わってしまうものに基づいた「日の吉凶」を信じる価値ってどれくらいあるのでしょうか。
新しい言葉や意味が定着すると本来の言葉の意味が失われてしまうことが多くあります。
元々の意味を尋ねると意外と首を傾げることのほうが多いのではないでしょうか。

昔から、結婚式は大安に、友引の日は葬儀を嫌うという風習が元々日本にあったと思われるかもしれませんが、「暦注全盛期」にも、中国・日本のいずれでも正式な暦に「六曜」が記された事は「一度もない」そうです。
つまり、「日の吉凶」に右往左往する私たちの「こころ」の方に問題があるのかもせれません。
親鸞聖人も「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」といい、「占い」や「日の吉凶」に迷う姿を悲しんで、指摘しておられます。
何ら気にすることなく亡き人の人生を偲びながら葬儀を執り行ってください。


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 ●A:回答

Q 2. 「お盆には、どのような準備をしたらよいのですか」
A 「日本人の先祖観」と「真宗門徒としての先祖観」のはざまで盆行事をどうとらえるのか、どうあるべきか、と問うことは非常に難しい問題です。盆の行事について、これが正しいと一概には言えませんが、参考にしてください。
 
明治以前は、日本のほとんど地方で旧暦の7月15日を中心に、13日に迎え盆、16日に送り盆を行っていました。
しかし、明治以降新暦が採用されると7月15日では、当時国民の8割を占めていた農家の人たちにとって、もっとも忙しい時期と重なってしまうためひと月遅らせ、8月15日を中心に盆行事をつとめる地方が多くなったようです。(現在でも旧暦で行う地方もあります。)

お盆は『仏説盂蘭盆経』に説かれることにその起源があると言われています。
お釈迦さまの十弟子の一人目連尊者が「欲度父母 報乳哺之恩」(今は亡き父母に何かできないだろうか)と思いたち自らの神通力で探したところ母が餓鬼道のなかにあり、苦しんでいる姿を目の当たりにしました。
目連尊者は大いに悲しみ、泣き叫び、お釈迦さまのもとへ帰って報告をすると、お釈迦さまは「汝母、罪根深結 非汝一人力 所奈何。(略)当須十方衆僧 威神之力 乃得解脱」(あなたのお母さんの罪は重かったようです。あなた一人の力ではどうにもできない。
まさに多くの修行している僧侶の総力が集まればその苦しみから解放されるでしょう」と目連に告げました。

お釈迦さまは続けて目連尊者に言いました。「十方衆僧 於七月一五日僧自恣時・・・」。
「多くの僧侶達の夏の修行期間があける7月15日に母に代わって僧や貧困に苦しむ人達に飲食物などの布施行をしなさい。」と。
その教えにしたがって目連尊者は母のことをおもい多くの僧侶等に施し、その功徳によって母は長く続くはずだった餓鬼道での苦しみから救われました。
そこでこれに感激した目連尊者は、この習わしを後にまで残したいと申し出ます。
するとお釈迦さまも頷き「仏や僧などに施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい」といい、それ以来父母や先祖に報恩感謝のあらわす行事となったのです。

この目連尊者の母をおもう故事にならってお盆は厳粛に勤めたいものです。
けれども特にお盆の行事は地域、宗派によって勤め方が違うようです。
真宗門徒のあいだではあまりみられませんが、他宗にあっては盆棚、精霊棚などをつくり、迎え火を焚いて先祖を迎え、三度三度の食事をだし、送り火を焚いて先祖をお返ししたりするようです。
また、最近ではテレビ等で先祖の霊を乗せるための、なすやきゅうりで作った牛、馬が紹介されましたが、真宗では全く必要ありません。

阿弥陀如来の御恩と先祖の御恩に感謝を新たにする仏事です。
まず、お仏壇を掃除し、真鍮(しんちゅう)の仏具を磨き、打敷(うちしき)を掛け、お華を差し替えます。
お仏飯と小餅等を供えて丁重にお勤めするよう心がけましょう。

また、浄土真宗では切籠灯籠(きりことうろう)を盆提灯の代わりに吊るすことが多いようです。(写真参照)
蓮如上人が残された『御文』の中に「ハヤウラ盆ニモナリニケリ。」と、お盆の時に書かれたものがありますが、お盆そのものについての意味や考えはみられません。
「ただ弥陀の本願を一向にたのんで信心決定し、仏恩報尽のために行住坐臥を選ぶことなく念仏すべきである。」と述べるばかりです。
つまり、お盆という仏縁をとおして仏法を聞くものとなっていただきたいという願いがそこにあるのではないでしょうか。


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 ●A:回答

Q 3.「お葬儀はどのようにすればいいのですか」
A 「葬儀」というのは、地域性・習俗的慣習・各宗旨・宗派の違い等の狭間で
一概にこれが正式であるとは言い切れません。参考までにお読み頂いて、利用できる範囲でご活用ください。
  さて、本題ですが、家族の「死」によって突然、喪主となることは誰にでも起こり得ます。
しかし、葬儀費用や葬儀形式について十分な知識を持っている人は意外に少なく、葬儀社まかせになる場合も多いようです。
このため葬儀終了し、冷静に振り返ってみると、不満を持つ方が多くなったとも言われています。

確かに、ここ10年を振り返ってみても、葬儀の形態、遺族の意識は随分と変化したようです。
ひと昔前ですと、地域の世話役や物知りの方々が、葬儀についても深い知識と経験をもっており、安心してその地域から葬儀をだすということがありました。
各々の自治体で祭壇をもっているところもあったほどです。
ですが、人と人との繋がりが希薄になりつつある今、「お互い様」という意識も薄れ、個々で葬儀を背負わざるを得ない状況です。
「斎場で行うと、遺族は楽である」「近所に迷惑をかけたくない」等の理由で斎場で葬儀を行う人も増えています。
それとともに益々葬儀社は、現代の葬儀に欠かせない存在になりました。
ホールの貸出、火葬場や霊柩車の手配、荘厳(祭壇)の設置。後片付けに、お給仕。司会等・・・。なんでもやってくれるんですから、非常に葬儀に関わる喪主以下親族、親戚のご苦労は減ったと思います。
ただ手放しに喜んでばかりもいられません。
当たり前と言えば当たり前ですが、その分、人と道具を借りているわけですから費用の増加が掛かるようになりました。


地域別 葬儀費用合計 葬儀一式費用 寺院の費用 飲食接待費用
全国 236.6万円 150.4万円 48.6万円 38.6万円
関東 313.0万円 178.5万円 64.1万円 66.1万円
九州 216.8万円 150.0万円 45.5万円 26.0万円

上の図表は、日本消費者協会 第7回「葬儀についてのアンケート調査」(平成15年9月より)
による葬儀費用の地域別平均額を示したものです。【(注 1)関東は埼玉・東京・神奈川が対象】

このアンケート結果から、ただちに現在の葬儀費用が高いとは断言できませんが、以前よりは費用が掛かるようになったのは事実です。
ですから納得できる葬儀を行うには、事前にある程度の準備・相談も必要です。
分からないことは素直にお寺に尋ねることも必要でしょう。

まず、葬儀は「あわてず慎重に」。
親族にとって葬儀とは非日常的な行事であり、一般的な相場感覚を持ちにくいですし、「縁ある大切な人の死」という冷静な判断を行いにくい精神状態のまま進めていかなければなりません。
上の図表からわかるように、葬儀費用にかかる金額は、葬儀社だけに支払う金額で終わりませんので、十分そのことに注意を払いながら諸事情から葬儀に予算をかけられない場合には、「見栄を張ることなく」葬儀社に素直に伝え、相談することが必要です。

次に、「葬儀のグレードは、祭壇ではありません。」
葬儀を勤める場合、「喪主・親族・親戚」・「寺院」「葬儀社」の関係が円滑にいき、三者が「仏事を厳粛に勤める」という理解と意識があって、ようやく葬儀が意味あるものになります。
ニュースでは、誰のものかわからなかったり、完全に特定できなかったりする場合に「死体」といい、誰のものか明確にわかっているときに「遺体」という呼び方をしているそうです。
「死体」は物体であり、動物のものもこう呼ばれ、使われています。しかし、「遺体」は亡骸。つまり、それを残した人への思いのこもった言葉です。
辞書には、両親が遺した、という意味で「自分の体」という意味も載っています。
このことを考えても、残された者に徒に出費を重ねて、故人が喜ぶとは思えません。
「仏事を勤める」という意識のもと必要以上な出費は避けましょう。

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